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今日も明日も日本のどこかでサドルにまたがる、慶應医学部2年生。U23ロードナショナルチーム。宜しくお願いします!

2020シーズン展望

2019年は愛三工業レーシングチームから僕の人生の展望を見据えた上での多大なるご支援を頂き、プロ選手として右も左もわからないシーズンを、UCIレース1勝という形で終わることができた。

 

本来1年間の契約で始まった僕の休学してのプロ生活だった。そのシーズンを終えてみて、もっとやりたい、まだできたことがあったという思いがあり、自分から願い出て、チームから今年も僕が選手として活動に集中できる環境を作って頂いた。

 

環境を提供してくださる愛三工業、家族その他関係者には頭があがりません。ありがとうございます。

 

僕はキャリアいっぱいになるまでプロ選手を続けるわけではない。プロ選手をやめてからは医師になって、スポーツドクターになって沢山のアスリートを支えていきたいし、最終的には日本人がグランツールでステージ優勝したり、ジャージを着たりする姿を見ることを夢見ている。

 

昨年はプロ選手としてのメンタリティ、コンディショニング、練習の仕方などを試行錯誤していたら飛ぶような速さで1年が過ぎ去ってしまった。

プロとしての生活を学ばせてもらったことで今年はプロ然とした向き合い方で自転車に向き合うことができそうだし、それ以外にもアフターキャリアに向けた勉強を始めていきたいと思っている。

具体的には、パワーデータベースのコーチングやその他コーチング資格の取得だ。昨年は自身もtraining peaksでパーソナルコーチングを受け、トレーニングの組み方やレース前のテーパリングの仕方を選手という立場で学ばせてもらった。今年はパワーベースで自分でトレーニングプランを組み、自らが自分のコーチとなって自分を強くしていきたいと考えている。

 

話は変わるが、愛三工業レーシングの掲げるfrom Japan to Asia, from Asia to the worldというコンセプトは僕が考えている将来の自転車への展望とぴったり一致する。

 

日本の自転車競技の強化に尽力している人々が思い描く日本の自転車競技像というのは例えば、「日本人がグランツールに10人出走する」とか、「日本人がグランツールでステージ優勝する」とかだろう。

自転車の本場フランスに渡ってフランスで自転車競技を学ぶのも良いことだが、それをするには相応の覚悟やリスク、そしてコストが伴う。そういう道をたどって今までプロになった日本のエース選手たちはもちろんすごいのだが、果たしてそれが日本から世界に羽ばたく道のメインストリームになりうるかというと、僕はノーだと思う。

日本の若者が現地で全てを捨ててプロを志すというのは、払うべき犠牲が大きすぎる。その道をメインストリームにしようとしているうちは、新城選手や別府選手といったいわば「突然変異体」(お二人の不断の努力を否定する意味合いではないので悪しからず)しか、世界に羽ばたくことはできず、そして世界に羽ばたく日本人の分母が少ないうちは「日本人のグランツール優勝」はまだまだ遠いと言わざるを得ない。

 

NIPPOのスポンサーのおかげで日本人がヨーロッパに挑戦できることを咎める人がいる(選手の中にも、NIPPOの力を使ってプロになることに抵抗を持つ人がいる)が、それは全くナンセンスだと僕は思う。ヨーロッパの強豪国には必ずその国に籍を置くワールドチームがあり、そのチームにはその国の国籍を持つ選手が最も多く在籍していることが当たり前だ。どのチームも、同じ実力で自国の選手と、他の国の選手がいたら自国の選手と契約したいに決まっている。

 

かつて梅丹本舗GDRという日本籍の、ほぼエース級の日本人で構成されたコンチネンタルチームがヨーロッパの1クラスのレースを席巻したように、日本で最も強い日本人たちが1つのチームを作ったら、ヨーロッパのプロ顔負けのパフォーマンスをすることだってあろう。

まずは自転車競技に理解のある日本のスポンサーを募り、日本で最も強い選手たちが、日本で最も良い待遇でアジアツアーを転戦できるチームを作り、日本人がアジアツアーで着実にUCIポイントを獲得できる仕組みを作ることが重要だと考えている。日本籍の複数のコンチネンタルチームが海外の選手をエースに、お互いにUCIポイントを取り合う構図ではいつまでたっても日本人によるポイントが入ってこないし、日本人の「勝ちパターン」が出来てこなければせっかく強い日本人も競技に対するモチベーションを失いやすい。日本のコンチネンタルチームなんて、1つで十分だ。

 

ワールドチームもスポンサー探しに苦戦する中、もともと自転車競技がメジャーでない日本の自転車競技界においてビッグスポンサーを見つけてくることは容易ではないと承知しているが、それが求められていることは確かだろう。

 

そういう将来の日本の自転車競技に対する展望に対してもなにかできることがないか、模索しながら、自身のスキルアップ、キャリアアップに全力を注いでいく2020シーズンにしたいと考えている。